手が考える

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 昨日まで神戸まちづくり会館で開かれていました「宮脇檀 手が考える 建築家・宮脇檀のドローイング展 巡回展」を見に行ってきました。

 会場内には所狭しと言わんばかりに、手描きの図面やスケッチ、旅先のホテルの実測図などが並んでいます。宮脇は画家であった父の影響を受け、幼いころから暇があれば手を動かす、頭で考える前に手が動くクセがあったと語っていました。手描きの図面がこういった展覧会で展示されると、「やっぱり手描きには味があるねえ」などと言って、目を細めて遠くを見たくなってしまいますが、ことの本質は安易なノスタルジーに浸ることではないと思います。一人の建築家と彼を支えたスタッフ達の思考の軌跡を垣間みることができる、そこがこういった展覧会の醍醐味ではないでしょうか。

 建築物を訪れるとき、あるいはそこで暮らすとき、普段私たちは何も気に留めることなくその空間を受け入れていますが、ある部屋をつくる、ある窓を穿つ、ある壁を立てる…建築の全ての要素は誰かがどこに何を設けるのか決定を下した結果なのです。人が物事を決める時にはその人がもつ知識や感性、倫理観など思考・思想の全てが目には見えないところで判断を下しています。つまり建築空間には建築家の思考や思想が反映されているのです。

 思考は頭の中だけで深めていくことが難しく、アウトプットとインプットを繰り返す中で醸造されていきます。自分から吐き出したものの中に発見があったり、他者のアイデアを引き出すきっかけになることも多々あります。この展覧会のタイトルに「手が考える」とありますが、考えるとは実は頭だけのことではなく、身体も考える力を持っているのではないでしょうか。建築は生きることに寄り添う存在です。そして生きるために私たちは全身を使います。つまり身体の全てを使って建築と関わっているのです。そう考えると、ルーチンワークの中で大量生産された建物で暮らす人生と、建築家が全身全霊を掛けて設計した建築で暮らす人生とでは、後者の方がより豊かな生き方なのではないか。私はそう信じています。

© Ikeda Hisashi Architects  2015-2018