短歌のような建築
大阪府茨木市を拠点に関西全域および全国各地で活動する一級建築士事務所です。
939
post-template-default,single,single-post,postid-939,single-format-standard,qi-blocks-1.3.5,qodef-gutenberg--no-touch,stockholm-core-2.4,qodef-qi--no-touch,qi-addons-for-elementor-1.8.9,select-child-theme-ver-1.1.2,select-theme-ver-9.6,ajax_fade,page_not_loaded,menu-animation-line-through,,qode_menu_,wpb-js-composer js-comp-ver-6.13.0,vc_responsive,elementor-default,elementor-kit-8

短歌のような建築

気の利いたコメントをするのは難しい。ありきたりも、奇を衒うのも、なんだか恥ずかしい。講演後の「会場から質問ありますか」にお客さんが目を逸らすのも同じ心理なのだろう。

建築家であり、教育者でもある方にレクチャーをしてもらうイベントを建築家仲間と一緒に運営している。運営メンバーは講演後に毎回質問やコメントをするのだが、ある建築家の回で私は「短歌のような建築」とコメントをした。これは奇を衒う度が高めな気がして、少し恥ずかしかったのだが、「だってそう思ったんだもん。仕方ないじゃん」の精神を発動。

短歌のような建築とは、どういう事かというと、空間構成(部屋の大きさや並べ方など)が抑制的(はちゃめちゃで自由奔放ではなく、少ない手数で洗練されている)で、そこに周辺環境や建築史を引用、参照した仕上げが慎重に選ばれているデザインに、まるで短歌のような印象を受けたのだ。短歌に置き換えるなら、空間構成は5・7・5・7・7のリズム、仕上げは枕詞や先人の短歌をなぞった言葉選びになる。リノベーションは差し詰め連歌といったところか。

よく練られた言葉(文章)は建築によく似ていると最近よく思う。美術館のように経路を辿って空間や景色が移り変わる様に感動する建築は長編小説のようだし、多様な子どもたちがそれぞれに心地よい時間をそれぞれの場所で過ごす放課後の学校のような場所はまるで詩集のようだ。

よし、図書館に行こう。

写真:髙橋菜生