引き出し
「いい空間をつくるにはどうしたらいいんですか」
非常勤講師を務める大学の学生にこう聞かれた。
「空間の体験を重ねて、それをいつでも使えるように引き出しにしまっておくことだよ」
わたしは(ドヤ顔で)答えた。
この答え、実は受け売りである。ちょうど通勤電車に揺られながら読んでいた本にホラー小説の巨匠 スティーブン・キングのエピソードがあったのだ。ある日、スティーブン少年は叔父のオーレンと共に家の裏にある網戸を修理に向かった。オーレンは大きな道具箱を片手に家の裏手へ回る。作業は簡単に終わり、使った道具といえばドライバー一本であった。スティーブン少年はオーレンに尋ねる。ドライバーだけで済むなら、なぜこんなに大きくて重たい道具箱を持ってきたのか、と。
「ああ。でもなスティーヴィ」叔父は屈み込んで道具箱の取っ手を掴みながら言った。「何があるか、ここへ来てみなきゃあわからないからな。だから、道具はいつも、全部持っていた方がいい。そうしないと、思ってもいなかったことに出っくわして弱ったりするんだ」
存分に力を発揮して文章を書くためには、自分で道具箱を拵えて、それを持ち運ぶ筋肉を鍛えることである。(スティーブン・キング『小説作法』)
このエピソードを読んだとき、「文章」を「建築」に置き換えても同じことが言えると思った。世の中に完全なオリジナリティはなく、新しく見えるものも実は既存の形や概念を組み合わせたり、ずらしたり、つまり編集することによって生み出されているとわたしは考えている。自分の引き出しの中身が少なければ、その組み合わせは貧弱なものになる。一方、引き出しにたくさんの道具があれば、言うまでもなく豊かなアイデアにつながる。
小説家にとっての道具が「言葉」だとすれば、建築家にとっては、「空間の体験」がそれにあたる。何も歴史的建造物や有名建築ばかりだけではない。日々の中で出会う、なんだか落ち着くベンチの配置やつい座りたくなる段差、早く立ち去りたいと思わせるお店の雰囲気など。こうした何気ない経験を引き出しにそっとしまっておく。
わたしの場合、祖父母の家にあった広縁に置かれた一対のソファや心地よい風が通り抜ける実家の団地の階段が、幼い頃の思い出と共に心地よかった空間としてストックされている。
もし読者の中に建築を建てようと考えている方がいれば、建築家に「自分にとって心地よい空間」について語ってほしい。きっとそこから着想を得て、あなただけの特別な空間を構想してくれることだろう。