建築士事務所登録番号の変更について
建築士事務所の更新登録に伴い、登録番号が下記の通り変更となりました。 【旧】大阪府知事登録(ロ)第24751号 → 【新】大阪府知事登録(ハ)第24751号
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5歳の娘が図書館から『いちにちだじゃれ』(ふくべあきひろ 作、かわしまななえ 絵、PHP研究所、2021年)という絵本を借りてきた。子育て世代なら一度は手に取ったことがあるかもしれない、あの絵本である。「ダジャレに興味を持つ歳になったか〜」と感慨深い。 車でお出かけの際には、退屈しのぎにダジャレを考えるゲームをする。車窓から見えるものの名前でダジャレを言い合うのだ。……と言っても、娘はまだダジャレ初心者。うまくダジャレに誘導する必要がある。こちらが先にダジャレを言ってしまうと怒り出すので、決して“答え”を言ってはならない。例えば「道路」をお題にする場合は、「道路、どうろ、どーろ、どろどろ…、うーん、うーん」と悩む様子を見せつつ、イントネーションを“道路”から“泥々”へと変えていく。すると、「どろどろのどうろ〜!」と娘が高らかにダジャレを宣うのである。 「蛍の光」(作詞 稲垣千頴、原曲 スコットランド民謡)の一節に「何時しか時も すぎの戸を 開けてぞ今朝は 別れ行く」とある。「過ぎ」ゆく時と木材の「杉」を掛けているのだが、昔は「なんだいダジャレかい」と思っていた。ところが近頃は、意味と音のズレを重ねる構成に、大きな意味を感じる。思えば、詩ってそういうことだよね、と。 ラジオ番組「アフター6ジャンクション」の映画批評の中で、宇多丸氏がある映画について「編集で韻を踏む」という発想を語っていたのも興味深かった。これって、建築空間でも応用できるのでは?たとえば、構造体のリズムを上下階で繰り返しながら、柱や壁の色を微妙に変化させていくような設計。整然とした繰り返しの中に意図的な「ズレ」を差し込むことで、単なる反復を超えた、詩的な“韻”が生まれる。音楽や言葉に「韻」があるように、建築にもリズムと変化、その「ずれ」が詩的な意味を持つのではないかと感じている。これは実際にプロジェクト内で試みた方法だが、外壁をガルバリウム鋼板の小波板で仕上げた住宅の間仕切り壁と建具に半透明のポリカーボネート小波板を用いたことがある(写真)。ここで住人は波打つ仕上げ材に屋外と屋内で繰り返し出会うのだが、そこで光や触った時の温度など金属板とポリカの間のズレを感じることになる。表面の波打つ形状と同様に面としての形は台形で共通しており、マテリアル=質感のズレを強調する。建物と建築の違いは、そこに「詩」があるかどうかだと考える池田にとって、「韻」は、今とても興味をそそられるテーマである。 そんなことを考えながら、今日も助手席で「くるまがくるまる!」と誇らしげに叫ぶ娘を、「うまい!座布団一枚!」とヨイショするのであった。 (撮影:髙橋菜生)