ESSAY
大阪府茨木市を拠点に関西全域および全国各地で活動する一級建築士事務所です。
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ダジャレ

5歳の娘が図書館から『いちにちだじゃれ』(ふくべあきひろ 作、かわしまななえ 絵、PHP研究所、2021年)という絵本を借りてきた。子育て世代なら一度は手に取ったことがあるかもしれない、あの絵本である。「ダジャレに興味を持つ歳になったか〜」と感慨深い。 車でお出かけの際には、退屈しのぎにダジャレを考えるゲームをする。車窓から見えるものの名前でダジャレを言い合うのだ。……と言っても、娘はまだダジャレ初心者。うまくダジャレに誘導する必要がある。こちらが先にダジャレを言ってしまうと怒り出すので、決して“答え”を言ってはならない。例えば「道路」をお題にする場合は、「道路、どうろ、どーろ、どろどろ…、うーん、うーん」と悩む様子を見せつつ、イントネーションを“道路”から“泥々”へと変えていく。すると、「どろどろのどうろ〜!」と娘が高らかにダジャレを宣うのである。 「蛍の光」(作詞 稲垣千頴、原曲 スコットランド民謡)の一節に「何時しか時も すぎの戸を 開けてぞ今朝は 別れ行く」とある。「過ぎ」ゆく時と木材の「杉」を掛けているのだが、昔は「なんだいダジャレかい」と思っていた。ところが近頃は、意味と音のズレを重ねる構成に、大きな意味を感じる。思えば、詩ってそういうことだよね、と。 ラジオ番組「アフター6ジャンクション」の映画批評の中で、宇多丸氏がある映画について「編集で韻を踏む」という発想を語っていたのも興味深かった。これって、建築空間でも応用できるのでは?たとえば、構造体のリズムを上下階で繰り返しながら、柱や壁の色を微妙に変化させていくような設計。整然とした繰り返しの中に意図的な「ズレ」を差し込むことで、単なる反復を超えた、詩的な“韻”が生まれる。音楽や言葉に「韻」があるように、建築にもリズムと変化、その「ずれ」が詩的な意味を持つのではないかと感じている。これは実際にプロジェクト内で試みた方法だが、外壁をガルバリウム鋼板の小波板で仕上げた住宅の間仕切り壁と建具に半透明のポリカーボネート小波板を用いたことがある(写真)。ここで住人は波打つ仕上げ材に屋外と屋内で繰り返し出会うのだが、そこで光や触った時の温度など金属板とポリカの間のズレを感じることになる。表面の波打つ形状と同様に面としての形は台形で共通しており、マテリアル=質感のズレを強調する。建物と建築の違いは、そこに「詩」があるかどうかだと考える池田にとって、「韻」は、今とても興味をそそられるテーマである。 そんなことを考えながら、今日も助手席で「くるまがくるまる!」と誇らしげに叫ぶ娘を、「うまい!座布団一枚!」とヨイショするのであった。 (撮影:髙橋菜生)

テトラポッド

とあるプロジェクトで協働しているクリエイターから「消波ブロックを使ってみないか」と提案があった。なるほど、確かに面白い。建築のスケール感ではなかなか扱えないような、荒々しい力強さがある。周辺環境を入れ子状に空間に取り込むコンセプトにもピッタリだ。 という訳で、消波ブロックを使う方向でプロジェクトは進んでいる。 消波ブロックとは海岸に置かれて波を打ち消す、コンクリート製のアレである。テトラポッドと呼んだ方が伝わりやすいかもしれない。ところが、そうはいかない事情があるのだ。 なんと日本において「テトラポッド」は、株式会社不動テトラが製造・販売している四脚ブロック製品の登録商標なのだ。そして、その四脚ブロック製品は民間には販売はしていないという。その理由を直接聞いた訳ではないので確定的なことは言えないのだが、伝え聞いた記憶によると、あくまで護岸のための製品でありそれ以外の用途に使われることはテトラポッドの持つイメージを損なうからとのこと(間違っていたらお知らせくださいませ)。まさか海岸だけでなく自社製品のイメージまでしっかり守っていたとは、いやはや驚きである。 という訳で、消波ブロックはウルトラ怪獣「ブルトン」(デザイン:成田亨)に似たテトラポッドではなく、三角形型のものになりそうです。

短歌のような建築

気の利いたコメントをするのは難しい。ありきたりも、奇を衒うのも、なんだか恥ずかしい。講演後の「会場から質問ありますか」にお客さんが目を逸らすのも同じ心理なのだろう。 建築家であり、教育者でもある方にレクチャーをしてもらうイベントを建築家仲間と一緒に運営している。運営メンバーは講演後に毎回質問やコメントをするのだが、ある建築家の回で私は「短歌のような建築」とコメントをした。これは奇を衒う度が高めな気がして、少し恥ずかしかったのだが、「だってそう思ったんだもん。仕方ないじゃん」の精神を発動。 短歌のような建築とは、どういう事かというと、空間構成(部屋の大きさや並べ方など)が抑制的(はちゃめちゃで自由奔放ではなく、少ない手数で洗練されている)で、そこに周辺環境や建築史を引用、参照した仕上げが慎重に選ばれているデザインに、まるで短歌のような印象を受けたのだ。短歌に置き換えるなら、空間構成は5・7・5・7・7のリズム、仕上げは枕詞や先人の短歌をなぞった言葉選びになる。リノベーションは差し詰め連歌といったところか。 よく練られた言葉(文章)は建築によく似ていると最近よく思う。美術館のように経路を辿って空間や景色が移り変わる様に感動する建築は長編小説のようだし、多様な子どもたちがそれぞれに心地よい時間をそれぞれの場所で過ごす放課後の学校のような場所はまるで詩集のようだ。 よし、図書館に行こう。 写真:髙橋菜生 

ボーっ

散歩中、ベンチに座っているお婆さんを見かけたので、奥さんに「最近ボーっとする時間がないなあ」と言うと、朝5分だけでも頭の中を空っぽにする時間を取るといいよと教わる。 小さな水筒にコーヒーを入れてボーっスポットを探しながら通勤。緑道のベンチは石製でお尻が凍えてしまったので、事務所近くのおにクルに寄り道することにした。4階まで上がり窓際の椅子に腰を掛けてボーっ。グラウンドゴルフに興じる先輩方を見下ろしてボーっ。北摂の山並みを眺めてボーっ。目を瞑ってボーっ。5分過ぎたがボーっ。今日は10時にTOTOの営業さんが来るんだった、と思い出しそろそろボーっタイムは切り上げなければと思いつつボーっ。 しかし、おにクルはいい建築だ。確か一般投票で選ばれる「みんなの建築大賞」にも選ばれたとか。公共建築不毛の茨木市に突如現れた単なる施設以上の価値を持つ建築は市民の生活を豊かにし、建築の力ってすごいのだなと肌で感じさせる存在だ。建築関係者のS N Sでおにクルを紹介する際には特徴的な吹抜けや頂部のトップライトの写真を使っていることが多いが、自宅からも事務所からも徒歩圏内でヘビーユーザーの私に言わせれば、おにクルの良さはそこではないのだ。フラットな床をシンプルに積層させたその構成にこそ意味がある。壁ではなく床が主役となり、訪れる誰にでもいても良いと思わせるのは、壁が空間の脇役に下がり床がテラスまで含めて伸びやかに存在していることにあるのではないだろうか。4階ホールの間仕切りをカーテンにしているのもそういった意識が反映されているように思う。また、北側に望む山並みは、実は茨木市民もほとんどの人が知らなかった美しい稜線で、その存在に気づかせてくれたのもおにクルなのだ。もちろん複合したプログラムの組み合わせの妙も(建築家を相当悩ませたようだが)誰もが立ち寄りやすいものにしていて、発注した茨木市グッジョブ!である、などと考えながらボーっ。 では、そろそろTOTOさんが来る時間なので事務所に向かいます。