池田久司
大阪府茨木市を拠点に関西全域および全国各地で活動する一級建築士事務所です。
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WORKSに「塚口のS邸」を追加しました

WORKSに「塚口のS邸」を追加しました。 間口3.7m、奥行16mのL字形敷地に建つ、クライアントと4匹の猫のための住宅です。 910mmピッチで反復する柱と梁が、細長い空間にリズムと透明性を与えています。仕上げや色彩にはわずかな差異を重ね、住まい手の家具や日用品と等価に並び立つように計画しました。 一つひとつの素材や色、かたちが、互いに韻を踏むように呼応しながら、住宅全体としてのまとまりを生み出すことを試みています。

【月イチ エッセイ】1:1

図面やCGでは伝えきれないことがある。難しい納まりでも、壮大な構想でもない。それでも、図面やCGでは表現しきれないのだ。 進行中のプロジェクトでは、それは階段のディテールだった。踏板を蹴込板から20mm出す。ただそれだけのこと。言葉にすれば簡単なのだけれど、その効果を説明するのは至難の業だ。 設計者として意図したのは、メンテナンス性とコストを考慮し、構造体に仕上げを加えるのではなく、素材の組み合わせ自体が意匠となるような階段である。エッジがシャープに現れ、そこに影が生まれ、物と物のありようが素直に立ち現れてくる。そのためには部材同士にほんの少しズレをつくる必要があり、しかもその工夫は使い勝手の向上にも寄与する。そういうことなのだが、これはなかなか言葉では伝わらない。やはり、物として見せるほかないのだ。 言葉は、すべてを表現できるようでいて、そうではない。ここ数年、「言語化」できることが高く評価される時代になったように感じる。学生のエスキスチェックをしていると、まず言葉から考え、空間を立ち上げようとする人がいる。これはなかなか難しいルートだ。 空間を分析し、その結果を言葉で語れることは重要である。なぜなら、空間や世界を観察し、そこに現れている状況を生み出している構造を読み解き、その結果を他者へ伝える際、言葉は多くの人に共有されるコミュニケーションツールだからだ。つまり、本来は実態があり、それを観察し、構造を読み解き、最後に言葉にするという順番なのだと思う。 一方で、言葉から空間を立ち上げようとすると、その順序は逆転する。求める空間への道のりを、どこか遠回りしてしまうのだ。 いくら言葉を尽くしても伝わらない機微も、模型を使えばクライアントに理解してもらえることがある。それは、模型によって空間そのものへ直接目を向けることができるからだろう。 件の階段は、すでに鉄工所での製作に着手している。さて、部分ではなく全体が1:1で立ち上がったとき、そこにはどのような空間が待っているのか。想像を超えるものであってほしい。

【月イチ エッセイ】嘱託の先生

今年小学生になる娘の入学式は、雨の降る風の強い日だった。「入学式」の看板には、たくさんの新一年生と保護者が列をつくる。強風をいなすように傘を操り、順番を待つ。前の人のカメラマンになり、後ろの人の被写体になる。保護者同士の連携プレーだ。写真の私はボサボサ髪のいいおじさんだったが、主役はよく撮れていたのでヨシ!としよう。 体育館には、お馴染みの薄緑色のシートの上にパイプ椅子が整然と並んでいる。30年前から変わらぬ光景だ。緊張した面持ちの新一年生に、司会の先生が優しく声をかける。3日前に参列した大学の入学式では、学生たちを鼓舞するような挨拶が続いたが、校長先生の挨拶は、通学路の写真を両手いっぱいに広げ、交通安全についてのお話だった。形式よりも子どもの安全を願う、祝福の言葉だった。 子どもたちが担任の先生を先頭に退場する。その時、校長先生よりもベテランの先生が、子どもたちの誘導を手助けしていた。きっと退職後に、若手の指導や教職のサポートをしている嘱託の先生だろう。 私の父は長らく小学校の教頭先生を務め、定年後は嘱託の先生として働いていた。娘が1歳になる10日前に、癌のために亡くなってしまったが、闘病中も小学校に通っていた。教頭として働いている頃には、ストレスからよく鼻の中におできをつくっていたが、嘱託の先生という現場仕事はやりがいもあったのだろう、とても生き生きしていたのを覚えている。ちょうどコロナ禍の最中ということもあり、葬式に人を呼ぶのは憚られたので、前夜式での献花だけ参列者に来ていただくことにした。そこには私の想像を超える人が集まり、涙を流していた。父の知らない一面、後輩に頼られ、慕われ、愛されていた姿を垣間見た。 そして、入学式で触れた小学校の優しい空気。親になって初めてわかるこの空気。この空気の中で、父は働いていたのだなと。ああ、父はこんなにも尊い仕事をしていたのだと知った、春の一日だった。

京都芸術大学 専任講師に着任しました

本日、2026年4月1日より、京都芸術大学 通信教育部 環境デザイン学科 建築デザインコースの専任講師に着任いたしました。 これまで実務の中で積み重ねてきたことを、教育というかたちで別の回路に接続していく機会をいただいたと感じています。 設計について考えてきたことを、通信教育という場の中であらためて見つめ直し、 学生とのやりとりの中で、その都度言葉にしていければと考えています。 実務についても、これまで通り継続いたします。 設計事務所としての活動と教育の場とを往復しながら、それぞれを更新していくつもりです。 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

【月イチ エッセイ】微地形

とある食堂のリニューアルの相談を受けた。広い空間にテーブルと椅子が整然と並ぶ学生食堂や社員食堂のような場所を、居心地が良く、コミュニケーションが促される場にしたいという依頼だ。そもそも、なぜ“食堂”はソワソワしてしまうのだろう。あの所在のなさはどこからやってくるのか。 芝生広場でピクニックをすることがある。レジャーシートを広げる場所は重要だ。「ここをキャンプ地とする」と決めるのは、木陰や、ちょっとした傾斜の始まり、腰掛けられる段差だったりする。広場のど真ん中を選ぶことはまずない。人は、なんとなく“良さそうな場所”を選んでいる。広々とした空間は歩いたり走ったりするには気持ちがいいが、腰を下ろして過ごすには少し心許ない。 今回の食堂は、集会にも使われるため、床の段差や間仕切り、衝立のようなものは設けられない。つまり物理的に空間を分けることはできないという条件だった。手を加えられるのは天井と床に限られる。床レベルはフラットなままにする。そうすると、残るのは天井だった。吸音材は必要になる。その配置で、空間に“ムラ”をつくれないかと思った。 ふと、芝生広場での記憶が浮かぶ。キャンプ地の第一候補は、木陰だ。天井に雲のような吸音材を浮かべ、床にはその影のような模様を描く。そうすることで、空間の中に見えない凹凸のようなものが立ち上がるのではないか。 ただ、内部で完結するインテリアでは面白くないし、何よりあの芝生広場のような心地よさを得ることは難しい。この食堂は角部屋で、南と西に大きな窓があった。光の方向がある。影は北東に落ちる。 天井の吸音材をなぞった床の影を北東方向に600mmずらして配置した。このささやかなズレが空間に微差を生み、それぞれ異なる居心地の良さをもたらすことができたなら、均質空間の所在なさに対するひとつの応答になりうるだろう。

土地の選び方

前回の記事では、家づくりの予算の考え方について書きました。要望と予算の整理ができたら、いよいよ土地探しです。 土地は広さや価格だけで判断されがちですが、建築の立場から見ると、もう少し違った見方があります。今回は、建築家が土地を見るときに気にしているポイントを紹介します。 広さと形 土地の広さや形は、建てられる建物に大きく影響します。 一般的には整形地が好まれますが、必ずしもそれだけが良い土地とは限りません。三角形の土地や旗竿地など、一見すると扱いにくそうに見える土地でも、設計の工夫によって魅力的な住まいになることがあります。 土地の形そのものよりも、どのように建物を配置するかによって、住まいの可能性は大きく変わります。 周辺環境 土地そのものだけでなく、周囲の環境も重要な要素です。 例えば、 隣家の窓の位置 道路からの視線 近くの建物の高さ 空や緑の見え方 こうした周辺環境を読み取ることで、光の取り方や窓の位置、空間の開き方が決まってきます。 また、周囲の景色を空間に取り込む「借景」という考え方もあります。敷地の中だけでなく、遠くの緑や空の広がりを視界に取り込むことで、住まいの空間はより豊かになることがあります。 法規条件 土地にはさまざまな建築のルールがあります。 用途地域 建蔽率 容積率 高さ制限 斜線制限 など これらの条件によって、建てられる建物の大きさや形が決まります。 ただし、こうした法規条件は専門的な内容が多く、不動産情報だけでは正確に読み取ることが難しい場合もあります。そのため、土地を検討する際には、建築の専門家に確認してもらうことで、建てられる建物の可能性をより具体的に把握することができます。 敷地の外を見る 土地を見るとき、敷地の形や広さだけに目が向きがちですが、実際には周囲の環境もとても重要です。 隣家との距離や建物の高さ、道路の広がり、遠くに見える空や緑など。建築では、敷地の境界の内側だけで完結するのではなく、周囲との関係を読み取りながら空間をつくっていきます。 そのため、土地を選ぶときには、敷地の中だけでなく、その周囲にも目を向けてみることが大切です。 少し変わった土地という選択 土地探しでは、整形地や条件の良い土地が人気ですが、そうした土地は価格も高くなる傾向があります。 一方で、形が少し歪んでいる土地や高低差のある土地など、一見すると扱いにくそうな土地は比較的価格が抑えられていることがあります。 建築家は、こうした条件を不利な条件としてだけではなく、設計のヒントとして読み取ることがあります。視線の抜けや光の入り方を工夫することで、一見難しそうな土地から豊かな空間が生まれることもあります。 実際に、ハウスメーカーに相談したものの敷地条件の関係で計画がまとまらず、その後ご相談をいただいた住宅もあります。ハウスメーカーは品質やコストを安定させるため、自社の構造や規格を前提として設計することが多く、変形地などでは計画が難しい場合もあります。 そのため、土地を購入してから設計を考えるのではなく、土地を探す段階から建築家に相談することで、選択肢が広がる場合もあります。 まとめ 土地は「良い土地」「悪い土地」と単純に分けられるものではありません。大切なのは、その土地の特徴を読み取り、どのような住まいが可能かを考えることです。 条件を制約として捉えるだけでなく、住まいの可能性として見ることで、土地の選択肢は広がります。 家づくりBASICS シリーズ これまでの「家づくりBASICS」は、こちらからご覧いただけます。 家づくりBASICS #1|家づくりの進め方(全体像) ▶︎[https://ikd-a.com/2025/10/17/iedukuri_1/] 家づくりBASICS #2|家づくりのパートナーの選び方 ▶︎[https://ikd-a.com/2025/12/19/iedukuri_2/] 家づくりBASICS #3|土地探しの前に要望整理 ▶︎[https://ikd-a.com/2026/01/14/edukuri_3/] 家づくりBASICS #4|予算は「決める」ものではなく「使い方を選ぶ」もの ▶︎[https://ikd-a.com/2026/02/06/iedukuri_4/] 順番に読んでいただくと、家づくりを考えるときの整理の仕方が、より立体的に見えてくると思います。

地鎮祭

先日、進行中のプロジェクトの地鎮祭が執り行われました。鍬入れの儀では、鎌・鍬・鋤の道具を使い、設計者・施主・施工者の順に「エイ、エイ、エイ」と掛け声をかけながら三度動作を行い、土地の神様に工事の開始を告げます。トップバッターですので、元気よく大きな声でと思うと、何度経験しても少し緊張します。 さて、本プロジェクトは30名の若者が暮らす社員寮です。この広い空と穏やかな山並みに呼応するような、心地よい場所になることを目指し、日々の暮らしのなかで、張り切らずに自然とコミュニケーションが生まれる住まいを試みています。 年末の竣工に向けて、しっかりと監理を進めていきたいと思います。

【月イチ エッセイ】1年経過

ブログページを振り返ってみると、【月イチ エッセイ】を始めてから丸一年になることに気づく。SNS全盛のこの時代だが、少しピークを過ぎている気もしている。アルゴリズムがアルゴリズム過ぎて、もういいよ、と言いたくなるのだ。私にはアルゴリズム体操くらいがちょうど良いのである。 2年ほど前、インスタグラムを見ていると「頭の大きい人用の帽子」の広告が頻出するようになった。どうして知っているのだろう、私に合う帽子がないことを。「頭 大きい 帽子」で検索をしたことがあっただろうか。記憶にはない。 その夏、私はシンデレラフィットのキャップを手に入れた。 そんな世の中で、わざわざ見に来てもらわないと読んでもらえないブログを始めた。シゴデキなアルゴリズムのいない世界。なんともすっきり、心地の良い空間である。 投稿マメな建築家もおり、それはそれで尊敬しているが、そもそも建築物は施主のものであるし、ジャンジャカ写真をネットに上げることには抵抗がある。そんな訳でSNSの投稿頻度はかなり少ないが、このエッセイは月一の締め切りを設けているためか、なんとか続いている。テーマは自由、なはずだが建築をテーマにした記事が多い点は反省である。本当は人となりを知ってもらいたくて、始めたのだけれど、引き出しの少なさは致し方ない。 ただ、こうして文章を書くというタスクを課すことで、頭の中を整理することには役立っているような気はする。 アルゴリズムは私の頭のサイズを当てたけれど、頭の中の整理まではしてくれないようだ。 そこは月に一度、自分でやるしかないらしい。

予算は「決める」ものではなく「使い方を選ぶ」もの

家づくりの相談で、よく聞くのが「予算は○○万円くらいで考えています」という言葉です。 家づくりを考え始めると、「結局、全部でいくらかかるのか」「そのうち、建物にはどれくらい使えるのか」が気になるのは、とても自然なことだと思います。 ただ実際には、予算は金額そのものよりも、どう使うかの方が重要です。 予算は「上限」を決めることではない 予算というと、「ここを超えないようにするライン」として考えられがちです。 けれど本来の予算は、どこにお金をかけ、どこを抑えるかを選ぶための道具です。 前回のBASICS #3では、トップ3・下位3・NGというかたちで要望を整理しました。この整理ができていると、予算の話は「削る」から「振り分ける」に変わります。 まずは「家づくりの総額」を知る 予算を考えるうえで、最初につまずきやすいのが建物価格だけを見てしまうことです。 家づくりには、建物本体以外にもさまざまな費用がかかります。 家づくり総額と内訳の目安(土地代を除く) 家づくりにかかる費用を100%とした場合、おおよそ次のような配分になることが多くなります(※地域や敷地条件によって前後します)。 建物本体工事費:60〜65%設計料:8〜12%外構工事:7〜12%地盤改良・基礎調整:0〜10%諸経費(申請・検査・登記・各種負担金など):5〜8% 特に諸経費は、インフラ条件や法規、敷地条件によって想定より増えることが少なくない項目です。 総額別|建物本体にかけられる金額の目安 上記を前提にすると、建物本体に使える金額は、総額の約6割前後と考えるのが現実的です。 総額 3,000万円 → 建物本体 約1,800〜1,950万円総額 3,500万円 → 建物本体 約2,100〜2,275万円総額 4,000万円 → 建物本体 約2,400〜2,600万円総額 4,500万円 → 建物本体 約2,700〜2,925万円 「思っていたより建物に使えない」と感じる方も多いですが、ここを甘く見てしまう方が、後で苦しくなります。 坪単価について(建築家住宅の場合) 予算の話になると、「坪単価はいくらくらいですか?」という質問もよくいただきます。 結論から言うと、2026年2月現在、建築家に依頼する住宅の場合、坪単価は少なくとも130万円前後から見ておくのが現実的です(※ここでは照明・水廻り等の建築物に予め固定される設備機器を含む、建物本体工事費を想定しています)。 現在の感覚としては、次のようなレンジになります。 130〜150万円/坪 → 建築家住宅としての標準的なゾーン。  構造・断熱・納まりをきちんと押さえ、  空間の質を成立させるライン。 150〜180万円/坪 → 素材選定や空間構成に明確な意図がある場合。  敷地条件が厳しいケースも含まれます。 180万円/坪〜 → 構造・素材・環境性能に強いこだわりがある場合や、  難易度の高い敷地条件を前提とする住宅。 同じ坪単価でも、何にお金を使っているかは設計によって大きく異なります。 工事費は、上がり続けています ここ数年、住宅の工事費は下がることなく、緩やかに上がり続けているのが実情です。 ・資材価格の上昇・人手不足による労務費の上昇・施工体制の変化・性能・基準の引き上げ これらが重なり、以前と同じ家を、同じ金額でつくることは難しくなっています。体感としては、急に跳ね上がったというより、毎年少しずつ確実に上がっているという印象に近いかもしれません。 だからこそ「何を大切にするか」が重要になる 工事費が上がっていると聞くと、「早く建てないと損なのでは」と感じる方もいます。ただ、焦って判断してしまうと、本来大切にしたかったことが抜け落ちてしまうこともあります。 重要なのは、今の相場感をきちんと知ることその中で、何を優先するかを整理すること工事費が上がり続けている今だからこそ、要望と予算の整理が、以前よりも重要になっています。 トップ3は「お金を使う理由」になる BASICS #3で整理したトップ3は、そのまま予算配分の優先順位になります。 ・家族が自然に集まる場所を大切にしたい・外とゆるやかにつながる居場所がほしい・一人で落ち着ける時間を確保したい こうした要望が明確であれば、面積、天井の高さ、光の取り入れ方など、どこにお金を使うかの判断がしやすくなります。 下位3は「調整のための余白」になる 一方で、下位3は予算調整の場面でとても重要な役割を果たします。 条件によって優先度を下げられる要望が整理されていると、予算調整が「我慢大会」になりません。 どこから調整すればいいかが分かることが、大きな安心につながります。 予算の話こそ、建築家と一緒に 予算は、一人で決めきるものでも、誰かに丸投げするものでもありません。 要望を整理したうえで、建築家と一緒に「使い方」を考えていくことで、数字は具体的な空間の話へと変わっていきます。 初回相談について 初回のご相談では、想定している家づくりの総額建物本体にかけられる金額の目安要望とのバランスを、現在の相場感を踏まえて一緒に整理します。 予算感がまだ固まっていなくても、土地が決まっていなくても構いません。 まとめ 予算は、夢を削るための数字ではありません。 ・何を大切にするかを形にするためのもの・使い方を選ぶための道具 工事費が上がり続けている今だからこそ、数字から逃げず、同時に数字に振り回されないことが大切です。 次回は、この予算感を踏まえて 家づくりBASICS #5「土地の選び方」 へ進みます。 家づくりBASICS シリーズ これまでの「家づくりBASICS」は、こちらからご覧いただけます。 家づくりBASICS #1|家づくりの進め方(全体像) ▶︎[https://ikd-a.com/2025/10/17/iedukuri_1/] 家づくりBASICS #2|家づくりのパートナーの選び方 ▶︎[https://ikd-a.com/2025/12/19/iedukuri_2/] 家づくりBASICS #3|土地探しの前に要望整理 ▶︎[https://ikd-a.com/2026/01/14/edukuri_3/] 順番に読んでいただくと、家づくりを考えるときの整理の仕方が、より立体的に見えてくると思います。

【月イチ エッセイ】意味の意味

先日、Xでこのようなポストを見かけた。 フランス人のエンジニア(日英も喋れる)と打ち合わせ中、話が脱線して彼が日本の好きなエンタメについて語り始めたんだけど、「PPAPは日本人たちが思っているよりもずっとおもしろい。過小評価されている。英語圏の人が初めてあれを観たとき、誰しも息ができなくなるんだ」と熱弁された— demio (@ganko_na_yogore) December 16, 2025 ピコ太郎(古坂大魔王)がPPAPで世界的にバズってから、もう10年が経とうとしている。しかし、いまだにSNSで話題に上がるほどその歌詞とメロディーは印象的だった。誰もが口ずさみたくなる「ペンパイナッポーアッポーペン」という歌詞。もしこれが単に心地よいパ行を中心とした音の並びに魅力があるのだとしたら、「パンペロピッピーポンプカタン」でもその面白さは損なわれないのかも知れない。しかし、皆さんも感じるように「パンペロ…」は笑えない。そこには意味がないからだ。「ペンパイナッポー…」は全くナンセンスだが、口ずさみたくなる音の連続に「筆記用具・南国の黄色い果物・赤い果物・筆記用具」という意味があり、そこが何故だか(特に英語圏の人々に)面白く、惹きつけられてしまうのだ。ヘンテコな音の並びに、意味のない意味がある。意味の作用によって私たちは何億回もこの動画を再生したのだ。大阪弁の面白さを伝える「チャウチャウ」の言葉遊びもこれと同じ現象だろう。 さて、建築である。一昨年から建築の勉強会をするようになり、設計することとは一体何だろうと考えることが多くなった。 建築の意味って? 近代以前であれば、その様式や装飾にはそれぞれ固有の意味が象徴的に込められてきた。部分に注目すればオーダーやステンドグラスなど、ビルディングタイプではその用途に応じた様式が選ばれてきた。意味が通用するのは、その意味するところが共有されているからである。様式や装飾の持つ意味を知識として知っていることが建築家の職能の一つであったし、建築主もその意味を理解できる教養を持っていることが前提となる。近代以降、社会や経済の構造が大きく変化する中で建築もまた変遷した。その流れの中で様式や装飾が徐々に排除されていった訳だが、そこには建築の大衆化が一つのきっかけになったのではないかと思う。教養豊かな上流階級から、切実に機能を求める大衆へと建築の対象が変わる中で様式や装飾の持つ意味が共有されなくなり、やがて建築教育からも外されていく。建築から意味が消えたのではないか。その後、ポストモダンが象徴や記号を通して意味を回復しようとしたが、もはや共有されない意味を背負った様式はただの無用の長物となり、早々に廃れてしまった。 では、現代建築に意味は必要ないのだろうか。そうではない。ただし、意味を象徴として与えようとした瞬間、建築は弱くなると感じている。設計の中で実際に行っているのは、意味を込めることではない。寸法と物質の操作だ。壁と壁の距離、天井の高さ、光の入り方、物と物の位置関係。図面を描いているとき、これは何を象徴しているのか、など考えていない。むしろ、椅子の位置が10センチ動くだけで、人の振る舞いが変わってしまうことの方が気になっている。それらを調整し、空間の関係を確定していくことで、人のふるまいは、ある方向に傾き、また別の方向に開かれる。そのとき立ち上がるのは、「これは何を象徴しているか」という理解ではなく、この場所では、なんとなくこう振る舞ってしまう、という身体的な反応である。意味は、あらかじめ用意された答えではなく、物と物の位置関係から読み取られてしまうものだ。現代建築に必要な意味とは、象徴として与えられるものではなく、物と物の位置関係から読み取られる、ふるまいの可能性なのではないだろうか。建築家の仕事は、意味を語ることではなく、意味が立ち上がる手前の状態を、空間として成立させることだと思っている。それは分かりやすさからは少し遠い。しかし、意味を「説明できるもの」にしすぎた建築ほど、驚くほど早く読まれ尽くしてしまう。長く使われ、何度も読み替えられる建築は、意味が立ち上がる手前の緊張を、空間として保ち続けているのではないだろうか。