【月イチ エッセイ】陰がつくる場所
今日は娘の通う小学校の始業式。長い夏休みから日常に帰る日だ。 私が小学生だった平成初期の夏休みは、朝のラジオ体操に始まり、学校のプールに通い、友達と水鉄砲で遊び、と、なんやかんや子どもたちだけで過ごすことの多い毎日だった。 令和はずいぶん事情が違う。暑すぎる気温のために、ラジオ体操もプールもなし。友達は民間学童へ行くし、家に固定電話もなく、子ども同士が連絡を取り合う手段もない。低学年のうちは、子どもの外出に親が付き添うことも当たり前になった。 玄関にランドセルを放り投げて「いってきまーす!」と、そそくさと出掛けていた時代とは大違いである。その分、親の負担も大きくなる。わが家ではどうしても妻に掛かる負担が大きく、頭が下がる一方だ。 それにしても、これだけ暑いと、街のちょっとした日陰のありがたさが身に沁みる。 原初の建築は屋根から始まる、と聞くと、雨を凌ぐためかなと考えがちだが、日差しを遮ることも大切だ。日傘も今や必需品だが、木陰の心地よさには敵わない。信号待ちの人々も、自然とわずかな日陰に集まっている。 考えてみれば、そこでは「影」がひとつの空間をつくっている。 建築というと、屋根や壁、柱といった物理的な形をつくることに目が向きがちだ。でも、夏にはどこに影が落ちるのか、冬にはどこに陽だまりができるのか。そうした目に見えないものまで含めて、場所を考えることができる。暑さがますます厳しくなるこれからの街では、「何をつくるか」と同じくらい、「どんな影をつくるか」が大切になってくるのかもしれない。